智弁和歌山

甲子園の一回戦ではじめて負けました。それが最後の試合になりそうです。春夏計3回の全国制覇を果たし、甲子園監督通算最多の63勝を誇る智弁和歌山高嶋仁監督(69)が今夏限りでユニホームを脱ぐ決意を固めたことが9日、 分かった。この日、津商に4―9で完敗し初戦敗退。試合後、スポニチ本紙の取材に「自分の腹は決まっています。あとは上(学校)が決めること」と語った。 既に報告を受けている学園の理事会は慰留しているという。
高嶋監督は智弁学園の監督を経て、80年に智弁和歌山の監督に就任。1学年10人の少数精鋭で、走り込みや徹底した打撃練習などで鍛え上げ、毎年、強力なチームをつくり上げてきた。今年は3年ぶりに甲子園に駒を進めた。 近い関係者の中には高嶋監督の体調面を危惧する声もある。2年前、現3年生が入学した時に「おまえたちが最後になる。絶対に甲子園へ行こう」と、15年 夏を最後に一線を退く覚悟を決めていたようだ。後任は、今夏からベンチ入りしていた喜多隆志副部長(35)が濃厚。97年夏の優勝メンバーで、慶大を経て 02年から5年間、ロッテでもプレーした。高嶋監督は今秋に地元で開かれる「紀の国わかやま国体」まで指揮を執る可能性はあるが、甲子園での采配はこの日が最後となりそう。今夏の神奈川大会決勝で敗れた横浜・渡辺元智監督(70)に続いてまた一人、名将がユニホームを脱ぐことを決断した。高校野球は今年で100年目になります。でも97回たいかいです。

宇宙飛行士

宇宙航空研究開発機構JAXA)の油井亀美也(きみや)・宇宙飛行士(45)が乗るロシアの宇宙船が日本時間の23日午前6時2分、カザフスタンのバイ コヌール宇宙基地から国際宇宙ステーション(ISS)に向けて打ち上げられ、約5カ月間の長期滞在に挑む。日本人の宇宙飛行は通算10人目で、歴代最年長 の39歳で飛行士候補に選抜された「中年の星」だ。初の自衛隊出身でもあり、「ISSは国際協力の象徴。日本の平和にも貢献していることを多くの人に伝え たい」と、意欲を見せている。油井さんの故郷は、星空で名高い長野県川上村だ。父の※司(すけじ)さん(78)によると、幼少期は家業のレタス栽培を毎日手伝う親孝行な子だっ た。宇宙に関心を持ち始めたのは小学校3年の時。実家には愛用した望遠鏡が大切に残されている。「急に望遠鏡が欲しいとせがまれて。新しい星を見つけたら 自分の名前が付くんだと言って、ずっと探していましたね」と振り返る。(※は言へんに甫)

 宇宙飛行士を夢見て、小学校の卒業文集には「火星に行く」と書いた。だが、家計を心配し、自ら学費の不要な防衛大に進学。航空自衛隊に入隊後は厳 しい訓練を経て、F15戦闘機の編隊長や高い技術が求められる軍用機のテストパイロットを歴任。航空幕僚監部で米軍との調整も担当した。夢を諦めかけていたが、戦闘機のパイロットが宇宙を目指す米映画「ライトスタッフ」をビデオ店で借りて見て一念発起した。2009年に国内で10年ぶりに実施された飛行士候補の選抜試験で競争率500倍の難関を突破し、国内外で訓練を続けてきた。

中田

ここまで4番としてフル出場。中田は侍ジャパンの4番の威厳を保っている。一方で金髪、ヒゲ、派手なネックレス…とその容姿に関しては常々、球界OBから手厳しい意見をちょうだいしている。 プロ野球選手に憧れる青少年に与える影響という観点から、球界のご意見番野村克也氏などは事あるごとに「日本を代表する一流選手なら身なりをしっかりしてほしい」と苦言を呈している。度重なる外部からの批判にも球団はこれまで一度も本人を注意するなどの手は打ってこなかったが、そこにはどんな理由があるのか。 昨年まで8年間ゼネラル・マネジャー(GM)を務めた山田正雄スカウト顧問(70)は「髪の毛のことに関しては今までもこれからも言わない。本人は野球のために遊びを我慢している部分もあるので、髪の毛のことが数少ない気分転換になっている。自分でできる唯一の自由な部分でしょ」と“容認”の方針は変わらないという。一方で「この問題は最終的には本人の自覚の問題。各方面から批判はあるけど、本人的には多少やんちゃな部分も残しておきたいのでは。そこに関しては(球団が)考えを押し付けても意味がない。本人が自分で気づいて変えなければ本物ではないから。この先、そういうものじゃない、人のために何かを還元するとか考え方が改まっていった時に彼が野球で認められたように、また世間の人の見る目も変わってくる」と今後の変化に期待を寄せている。本人任せという球団の方針に賛否はあるだろうが、チームは中田の成熟を見守っていく。

上原浩治

40歳になっても頑張っています。母校の大阪体育大学(大阪府熊取市)野球部監督・中野和彦は教え子を「反骨心の塊のような男」と表現する。 「うちに入ってきたとき『4年後のプロを目指さないか』といったら、上原は『無理っすよ』と答えた。でも『一緒に夢見ようや』と契りを交わしたのを覚えている」 上原は、東海大附属仰星高校(大阪府枚方市)では3年まで外野手だった。ピッチャーをするようになったのは3年途中から。だが当時は後に日本ハム入りするエース建山義紀の控えで、打撃投手をする〝補欠〟だった。 しかも、将来の体育教師を志して受験した大体大も最初は失敗している。中野は「不合格だったのは英語の点数が低かったから。でも相当努力したと思う。浪人で予備校に通いながら1年後に合格したときはトップクラスだった」と振り返った。 ただ、大体大は今でこそ社会人、プロに送り込む強豪になったが、当時はプロスカウトからソッポを向かれるほどノーマークだった。 しかも、大体大野球部には専用グランドがなく、附属の浪商野球部が優先され、チーム全体がまとまって練習するのは昼休みの約30分間に限られた状況だ。さすがに全日本代表入りした時には、ほとんどのプロ野球チームからマークされるようになったが、試合後、選手たちがスポーツメーカーから支給された手袋、アンダーシャツなどの用具を平気で「ポイ捨て」して帰る光景に驚いた。恵まれない環境に育った上原は「こいつらには絶対に負けない」と闘争心をたぎらせたのだ。 現在、大学で218人の野球部員を預かる監督の中野は「今もうちの選手は折れたバットにクギを打って練習している。どれだけ野球で有名になって、強くなっても、野球用具をおろそかにするやつはうまくなれない。それを大事に使うのも礼儀作法」という。

マー君

早い復活です。でもこの先はどうなるのかまだまだわかりません。右手首の炎症と右前腕部の張りで故障者リスト(DL)入りしていたヤンキース田中将大投手(26)は、現地時間3日(日本時間4日)敵地のセーフコ・フィールドでのマリナーズ戦で先発復帰。7回を投げて3安打、1失点、毎回の9奪三振の素晴らしい投球で、今季3勝目。ストレートは最速154キロをマーク、制球も抜群で、ストライクゾーンで勝負していくピッチングでマリナーズ打線を手玉にとった。完全復活を印象づけた。 復帰マウンドの第1球に選んだのはストレートだった。だが、ヒヤっとするようなライトポール際への大ファウル。それでも落ち着いてカウントを整えると、モリソンを最後はスプリットで空振りの三振に打ち取った。続くジャクソンには、ツーシームを痛打されるが、サードのへドリーが、その痛烈なゴロをダイビングキャッチして一塁へ。続くカノは、昨年驚愕の本塁打を浴びた打者だが、これもまた、セカンドベース上でショートが処理して3者凡退に斬って取った。ストレートは、マックス148キロを記録したが、スライダーとツーシーム主体の制球重視型の慎重なピッチングである。メジャーのシーズンは長いです。まだはじまったばかりです。中4っかと言うローテーションで体がもつのでしょうか。日本人ピッチャーで長い間活躍した先発投手はいません。田中は「すごく良かったと思いますけど、また、次どうなるか分からないので、良かったところをしっかり次につなげて行きたいと思います」と、淡々と振り返った。

イチロー

2873打。イチローがすごい記録を作った。イチローが誕生したのはおおぎ監督に出会ったからだ。オリックスにいたときにイチローに自由に練習させなかれば今のイチローはなかった。マーリンズのイチロー外野手(41)は18日(日本時間19日)、マイアミでのダイヤモンドバックス戦に「8番・中堅」で先発出場。3回の第1打席で左前打、5回にも左翼線へ2打席連続安打を放ち、ベーブ・ルースが持つ歴代42位のメジャー通算2873安打に並んだ。試合は延長の末、2―3で敗れて4連敗。 この日は、ゼネラルマネジャー(GM)から転身したダン・ジェニングズ新監督(54)の初陣。指導者歴は約30年前にアラバマ州の高校でのコーチ経験しかなく、マイナーを含めてコーチ、監督の経験がないまま采配を振るうのは大リーグでも極めて異例だ。イチロー獲得に尽力し、今年1月の東京都内での入団会見にも同席した。 試合前のベンチでは、イチローがユニホームの上から初采配の指揮官の首に“リラックスして”とばかりにネクタイをかけ、ハイタッチを交わす場面も。この日は当初、オスナが「5番・中堅」でスタメンに名を連ねていたが「個人的な事情」で帰宅し、イチローが急きょスタメンとなった。いつかはこの記録は達成されたのだろうが、こんな理由でこの日に記録が作られたというのはやはり奇跡なのだろう。奇跡というものは日常いたるところで生まれている。ちいさなものから大きなものまで。

九条

大阪の天保山から出航する時は大阪市内を通って向かいます。朝早い時が多いので、途中で朝ごはんを食べます。たいていマックのあさごはんになります。ほとんどあきているので新鮮味がありません。あるとき九条の商店街の前を走った時、その商店街の入り口に立ち食いうどんのお店があることに気づきました。それを覚えていたので4日の日の朝にその前にとまりました。朝早かったのですがお店はやっていました。お店に向かっていくとたくさんのお客さんがいるではありませんか。店のまえにはテーブルがふたつありました。カウンターは混んでいましたが、テーブルにはだれもいませんでした。のれんをくぐるとそこには80をこえているだろうと思われるおばあちゃんがいました。おおきな声で「いらっしゃい」といいました。注文をしようとしたら、そのおばあちゃんは注文を聞けないみたいでした。たぶん覚えることができないのでしょう。するとその孫ぐらいのひとが注文を聞いてくれました。天ぷらそばを注文しました。ありえないぐらいにおいしかったのです。さすがに大阪の商店街の立ち食いうどんです。びっくりしました。値段もとてもやすかったです。食べている間もつぎつぎとお客さんがやってきました。よくはやっているみたいです。この味ではやらないわけがありません。わたしがよく食べている阪急そばとはわけがちがいます。だしが最高です。これから朝ごはんは当分ここになるでしょう。ひとつきになるメニューがありました。それはラーメンです。いつか挑戦する価値はあると思います。